子供達への愛情の大切さ
こんにちは。工藤大史郎です。
ホームステイから一人暮らしになって考える時間が増えたように感じます。
一人の時間って大切ですよね。自分を見つめ直す時間にも繋がるし。
人それぞれ色んな使い方がありますよね。
今回は”愛情”について書いていこうと思います。
皆さんにとって”家族”ってなんですか。
家族にしてもらったことって一体どのくらいありますか。
・自分を生んでくれた。
・ここまで育ててくれた。
・好きなもの買ってくれた。
・習い事行かせてもらった。
・鼓膜破られた(がちです。)
僕が悪いので心配しないでください。(笑)
まあ数え切れないほど家族から与えてもらいましたよね。
実際に離れて見て家族のことを考える時間が増えたんです。
家族ってなんだろう。何のためにあるんだろう。
みなさん何のために家族ってあると思いますか。
最近思うんですが、家族というものに一人一人違う価値観を持ってるなと。
例えば、僕みたいな悪ガキは子どもの頃めちゃくちゃ親父にやられてたでしょう。何だコイツってやられる度にいつも思ってました。でもそれって愛情ですよね。だから嫌いにならないし嫌いになれない。だって家族だから。家族に対してポジティブな価値観を持っています。
一方で、親に不満を持ち、終いには殺してしまう人だっている。家族に対してネガティブな価値観をもっています。
この例えは極端なのかもしれませんが、一人一人価値観って違うはずです。
これって何でなんでしょうね。なんでものを盗んだり、人を殺したりするんでしょうかね。
僕が思う1つの原因として愛情の欠如。これは今までの経験で感じたことです。
僕はボリビアの孤児院や日本の少年院で活動した経験があります。
イメージつきますか。孤児院や少年院の。
孤児院は親が薬物中毒、DVで捕まり親がいない状態の子供達が共に生活している施設。
たくさんの子供達が一緒に生活して、いわゆる1つの家族のようなもの。朝起きて寝るまで一緒に生活をする。
少年院も一緒です。彼らは名前をお互いが知らないため番号で呼び合っています。彼らも衣食住を共にしています。家庭環境が悪くて罪を犯してしまう。何がいけない。何がいい。それが分からず繰り返してしまう。
その子たちの体育の授業の先生になったことがあるんです。先生をやっていて感じたことがあります。その子たち全員が、ただのでんぐり返しを成功しただけでめちゃくちゃ喜んで僕にハグしてくるんです。普通のハグではありません。本気のハグです。喜びをかみしめたハグでした。まるでお母さんにハグするように。
これ。なんでだと思いますか。理由は簡単です。
褒めてもらいたい。
成功した喜びを共有したい。
愛情を受けたい。
だって今まで受けてこなかったから。
愛情を受けてこなかった子供達はこんなにも違うんだ。
どれだけ背景が違っていても子供は子供なんですよ。
僕たちがしなければならないことがすごく見えてきた瞬間でした。
僕たちは数には表せない程の愛情をもらってここまで生きてきました。
そしてこれからも愛情をもらいながら生きていくことでしょう。
しかし、これも当たり前ではないということ。
全世界には愛情を受けてこれなかった子供達がたくさんいます。愛情の有無で全く違うんですよ。愛情って与えようと思って与えるものではありませんが、効率化だけを図って子供達に真摯に向き合わない。そんなんすごく寂しいですしナンセンスですよね。
僕たちが派遣されている目的は技術提供だけではありません。子供達に対して本気で向き合い、時にはぶつかることもあるし、一緒にふざけあうこともあるし、そういった面の方が大事だったりします。
僕はそういった面を大事にしてこれからも活動していきますし、活動の中で大事だなって思ったことを発信し続けていきます。
これが今僕の感じている愛情の大切さです。
なぜ僕が国際協力をするのか
Hola!
こんにちは。工藤大史郎です!
先にお伝えしておきます。
全部読んでください。
読んだら何かしらの刺激になるはずです。
それではなぜ僕が国際協力をするのか。
最近、国際協力に関して色んな意見を耳にします。
”自己満やろ?”
”する意味あんの?”
”もっと日本のことにお金使えよ。”
まあ沢山の意見がありますよね。それだけ沢山の人間がいるんだから。
色んな意見あって良いと思いますが、果たして国際協力って一体何なのでしょうか?
さて皆さん。こんな質問をされたらなんと答えますか?
”国際協力に賛成ですか?反対ですか?”
どうですかみなさん。
おそらくですが。”賛成だけど、、理由がぼんやり、、、”みたいな人がほとんどだと思います。
じゃあ極端な話。国際協力をしなくなったら世界はどうなるでしょうか。
お金を多く持ってた方が勝ち、資源をより多く持っている国が勝ち。逆にお金を持っていない方が負け。貧乏が負け。
間違いなくおかしな話ですよね。
そんなんじゃ世界平和なんてなるわけない。もしかすると今まではこの超ステレオな価値観が日本にも残っていたかもしれません。しかしこの価値観や考え方ではもう誰も満足しない世界になってきました。
じゃあ、世界中の生活が裕福ではない人々に
”強く生きてくださいね。頑張ってお金稼いで僕達みたいに豊かになってください。”
といった考え方であってるのでしょうか。
絶対に違いますよね。
そうではなくて
”貧困をなくすために俺らにできることは何か”
”全世界の70億人みんなが幸せになるためには何ができるのか”
といったことを世界規模で考えていかなけらばならないと思っています。でもこれってかなり難しいことなんですよ。
別にいいんですよ。そんなんする必要ないって思っている人はしなくて。強制じゃないし、ましてや自分の為にならないって思うこともできるし。
でもそこに僕は魅力を感じるんです。
世界規模で動く。世界規模で生きる。その中で助け合う。
これが楽しくて仕方ないんです。
国際協力をしていく中で、人が笑顔になった瞬間、人の為になったなって思えた瞬間、その瞬間ごとに喜びを感じるんです。自分に存在意義があるんだと。
国際協力は本当魅力的なんですよ。自分が何か与えようと意気込んで活動すると、百倍以上で与えられるし。本当に勉強になるんですよ。日本にとどまっておくよりも。それも現地に近ければ近いほど。溶け込めば溶け込むほど。
人の為になった瞬間が、自分の為になってる。
僕はこれに気づくことができたんです。
実際にこれはボリビアで青年海外協力隊として二回活動させてもらって、STANDBYKUMAMOTOでも熊本地震での支援もさせてもらって、今までの経験があったからこそ気付けたことでもあります。
そのことから今までの生活を見つめ直すことができました。見つめ直し始めたら、還元しないっとって思えてきたんです。
俺らにできることっていくらでもあるじゃん。
だって何不自由なく生活できてるんだから。
だからやるんですよ。じっとしてられなくて。
やっていくとワクワクしだすんですよ。マジで。
”次に待ってるのは一体なんだろう。”
”今度は何を学べるんだろう。”
”目の前で起こる1つ1つのことが刺激で次を待ってられなくて。”
正直、自己満でもいいと思います。
自己満も好き勝手ハチャメチャする自己満ではなくて、活動を自分なりに精一杯やって、現地の人々から日本人の大史郎でよかったって思ってもらって、そこに自分自身の存在意義があれば自己満であっても国際協力になると考えています。
だって正解とかないから。
確かに俺は世界を変えることなんて無理かもしれない。でも自分が関わっている環境、自分の任地、これから関わっていく現地の子供たち。その限りなく小さなコミュニティを幸せにすることはできる。日本のことも自分のことも好きになってもらえる。これが僕の仕事だと思っています。
本当に個人の自由なんですよ。そんなんやらんでもいいし。
でもこれだけは言いたい。
やったら人生変わるぜ。
今生きてる幸せ
こんにちは。たいしろうです。
今回は僕の地元で起きた熊本地震について書かせてください。
2年前に熊本で地震がありました。
あの時の状況は今も鮮明に覚えています。
福岡で一人暮らししていた大学2年の頃です。
部屋でゴロゴロしてると、突然感じた事も無いような”揺れ”。
びっくりしてテレビをつけると震源地は熊本でした。急いで家族に電話しましたが、全く繋がらず1時間後。聞けた声は怯えてとても震えた「大丈夫だよ、、」でした。
この時、何もできない事に悔しさが滲み出てきました。
何をすればいいのかわからない。何かしたいけど何もできない。
でも何かしないといけない。
気づいたら熊本出身の仲間を自分の部屋に呼び、学校に電話、監督に電話、県庁に電話し、募金活動、支援物資の受け入れを行おうと自然と体が動いていました。
次の日から、サッカー部として、街頭に立ち募金活動と支援物資の受け入れを開始しました。本当に一緒になって活動をしてくれたチームメイトをはじめ、監督、大学には感謝しきれません。
そして、2日間支援を募った結果、、、
募金で集まったお金は”550万円” 支援物資は”20t”とありえない数でした。
本当にびっくりしました。
こんなにも熊本の為にと思ってくださる方々がいるんだと。
”本気で応援しているよ。”
”俺たちの分まで任せたよ。”
”頑張れ熊本!”
その思いとともに、実際に熊本へ、、、
しかし熊本の現状を目の当たりにした時、何も言葉が出ませんでした。
ここで元気を失っていては意味がない。皆んなの思いを俺が代わりに伝えないと。
元気を与えないと!
しかし、実際には熊本のみんなは下を向いてなんかいませんでした。
活動していく中で、被災された方々から「ありがとう」と言われた時は、自然と涙が出てきました。逆に元気を与えてくれました。
その時、誰かの為に働く喜びを感じるようになりました。ただ自分の為だけに生きることはすごく寂しいなと。
その後、ボランティアチーム「standbykumamoto 」を立ち上げ、チャリティーTシャツによる支援活動を始めました。
内容はチャリティーTシャツでの売上金全額で、震源地である益城町の幼稚園や保育園に遊具に替えて送るプロジェクト。この活動を2年間続けて、今では6ヶ園に遊具の寄付することができています。
何がここまで自分を動かすんだろう。やっていくうちに答えが見えてきました。
それは子供達の笑顔でした。今まで下を向いていた子供達が笑顔になった時、素直に
「あ、やってよかったな。」と感じるんです。
生きてることに感謝してこれからも生きていきたい。
嬉しいこと。悲しいこと。楽しいこと。苦しいこと。
今しかできないこと。その瞬間でしか味わえないこと。
これは生きてるからこそ、感じることが出来る。
全部生きてる喜びだなと、最近感じるんです。
今、生きていても100%幸せと言い切れない世の中に僕達はいるかもしれない。
確かに苦しいこと辛いこと人生には山ほどあると思います。
でも、これも生きてる証拠なんだと僕は思っています。
今生きてる事こそが最高の喜び。
こう思うようになれたのも今まで生きてこれたから。
沢山の経験をさせていただいたから。
今ここいること、今やりたいことができていること、僕は本当に幸せ者です。
これからも生きてる喜びを噛み締めながら生きていきます。
少し長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。